INTERVIEW インタビュー

鬼塚雅

木村葵来

Miyabi Onitsuka/Kira Kimura

それぞれのベストを尽くし頂へ

大舞台を目指し世界に挑む

2024.6.19

向かって左より、鬼塚 雅(おにつか みやび) 、木村 葵来(きむら きら) 選手

インタビュー・文=平野貴也 写真=島崎信一

環境が育んだスノーボーダーとしての原点

インタビューに答える、鬼塚 雅 選手
最初に、スノーボードを始めたきっかけを教えてください。

鬼塚私は、5歳のときでした。休日に家族で熊本から福岡へ出かけたのですが、雨天で遊ぶところがなく、室内ゲレンデに連れて行ってもらったのが、きっかけです。小さい子は珍しいので、みんなが優しくしてくれて、楽しかったです。

木村僕は、父が趣味でスノーボードをやっていました。岡山から鳥取のスキー場に連れて行ってもらい、父の友人や知人の方に可愛がってもらって、雪遊びをして、楽しいなと思いながら、ボードを滑るようになりました。4歳くらいだったと思います。

インタビューに答える、木村 葵来 選手
どのように、競技として取り組み始めたのですか?

鬼塚私は、環境が選手に育ててくれたようなものです。通っていた福岡県のゲレンデに、レールがありました。当時は、珍しかったかもしれません。みんながやっていたので、「私も」という感じでしたね。そのうち、スポンサーさんの後押しで予選会に参加させてもらい、それを突破して推薦をいただいてプロシリーズと呼ばれる国際大会に参加しました。当時、日本の女子では初めてでした。

木村僕も鳥取のゲレンデにジャンプ台やレールがありました。選手になりたいと思ったのは、中学1年の頃です。小学生の頃は、器械体操をやっていて、実業団が運営するスクールの選手コースに体験入部をしたのですが、週6日、夕方から夜までずっと練習。ちょっとしんどくて(笑)、スノーボードの方が楽しいと思いました。その頃、世界規模のスポーツ総合大会でスノーボードのスロープスタイルやビッグエアが競技として採用されたのをテレビで見て「格好良い、オレもやりたい!」と思うようになりました。

インタビューに答える、鬼塚 雅 選手
お二人にとってスノーボードの魅力とは何でしょうか?

鬼塚楽しみ方がたくさんあるところです。小さな技ができるようになるのは、自分一人でもできる楽しみ方。技なんてできなくても、みんなで一緒に滑れば、それだけでも楽しい。いろいろな楽しみ方ができるところが良いなと思っています。

木村僕が魅力を感じるのは、迫力です。競技を見たら、両足が固定された状態で、いっぱい回って着地して、どうなっているの?と思いますよね。一般の人がいきなりやるのは不可能。やってみないと分からない迫力を感じられるのは、スノーボードの魅力かなと思います。

スノーボード競技中の、木村 葵来 選手

写真提供:全日本スキー連盟

お二人ともスロープスタイル、ビッグエアの2種目に取り組んでいますが、その理由について教えてください。

鬼塚自分がいた環境だと、その種目だったという感じです。今でも、一般のスキー場に設置しやすいのがスロープやジャンプ台なので、一番触れやすい種目じゃないかと思います。アルペンやスノーボードクロス、ハーフパイプは、コースが設置されているゲレンデが多くありませんので。

木村僕は、体操をやっている頃から跳び回ることが好きでした。通っていたスキー場にハーフパイプのコースはなかったので、ジャンプ台を飛ぶようになりました。僕は、ジャンプでテイクオフの瞬間を少しミスしても、空中で姿勢を調整して着地まできれいに持って行くことができる方なので、体操の経験が生きていると思っています。

鬼塚葵来の場合、直前の公開練習とかでダメでも、試合でいきなり大技を着地させられるのが、チャームポイント(笑)。大会の最終日に、レールを使って、普段はやらないような動きをやって遊んだときも、葵来はできてました。空中での身体のコントロールがすごいと思います。

木村空中でこうやって動けば着地できるなと、頭の中でイメージできるので、それで身体を動かせているのかなと思います。でも、外国人選手のようなジャンプの高さもほしい。日本では高さを出せる方なので、ビッグエアでは、誰よりも高いジャンプがしたいです。

身体づくりと回復のバランスがカギ

スノーボード競技中の、鬼塚 雅 選手

写真提供:全日本スキー連盟

スノーボードは冬季競技ですが、どのような年間スケジュールで活動しているのですか?

鬼塚シーズンインは10月くらいで、年間10大会前後に出場します。6~8月くらいまでの夏のオフシーズンは、人工芝で作られた施設で練習します。一度、季節が逆になるニュージーランドで試合に出て、また帰国して調整して海外遠征が始まります。基本的には、オフシーズンの間に技を習得して試合で使うのですが、シーズン中も合間を縫って技を練習しています。

木村僕は、シーズンに入ったら、新しい技は、あまり練習できません。なので、シーズン中は、コンディション調整がメインになります。

インタビューに答える、木村 葵来 選手
オフシーズンは、技の習得だけでなく、身体づくりも行いますよね? どんなところに気を付けていますか?

鬼塚筋力トレーニングは、1週間に2回。今まで、身体が重くなり過ぎると動けなくなると思っていたのですが、軽過ぎるとジャンプをした後に回転しきれないことがあるんです。23年から8キロ増量したのですが、調子は良いです。滑りに安定感が出るし、着地も安定しました。あと2キロ増やしてみようと思っています。

休みも大事。人工芝の施設での練習は、何度も技を繰り出すので、筋トレと同じくらい疲労が溜まります。2022年の世界大会までは、週7日ずっと練習をしていましたが、今は、どれだけ技の仕上げを焦っていても、週に1日は絶対に休むと決めています。

木村僕は、大学に通っていて、平日は板(スノーボード)を履ける環境がないので、オフシーズンは、トレーニングが中心です。ただ、筋肉をつけ過ぎると動きにくく、イメージした身体の使い方ができなくなってしまう感覚があります。腰を痛めたのも、筋肉量を増やした影響かなと思うところがあったので、筋力強化は、1〜2週間に1回、軽く行う程度にしています。よく行っているのは、有酸素運動。ほかの選手と比べて体力がないので、朝、走ったり、バイクを漕いだりしています。

コンディションを保つために工夫していることはありますか?

鬼塚格闘ゲームの体力ゲージみたいにイメージして、いつも、どれだけ早くたくさん回復できるかばかりを考えています。回復具合によって、次の日の練習内容が変わってしまうので、一番大事にしています。睡眠は、同じ時間でどれだけ快適に寝られるかが大事。ケアグッズを使ったり、ストレッチをしてから寝たり、ベッドや枕にこだわったりしています。

木村ベストな状態で板を履きたいので、身体をほぐしてから寝ています。自分でストレッチができるように、コンパクトに持ち運びができるローラーを遠征先に持ち込んでいます。今は寝る前の30~60分しかできていないけど、もっと普段からコンディション管理をしたくて、習慣づけをしています。以前は、ストレッチやウォーミングアップに対する意識が足りていませんでしたが、一度、肩の脱臼で手術をしてからは、コンディション管理に気を付けるようになりました。

ケガの多い競技にとって治療器は安心材料

インタビューに答える、鬼塚 雅、木村 葵来 選手
治療器は、どのようなきっかけで使用するようになったのですか?

鬼塚初めて使ったのは、12歳の頃、鎖骨を折って手術をしたときです。母が、病院の先生に「どうやったら早く治りますか」と何度も聞いて、超音波治療を教えてもらいました。ケガをしているときは、トレーニングもできないので、すごく不安になるのですが、機械のおかげで治療にフォーカスできました。治りが早くなっただけでなく、精神的にモチベーションが下がらなかったのも良いところだなと思いました。

15歳で世界選手権を優勝して、多くのメディアに取り上げていただいたのですが、実はそのときも左足の内側靱帯を損傷していて、知り合いの接骨院で低周波治療器を借りて治していました。持ち運びもできるし、すごく良いと思って購入してから、ずっと治療器を使っています。打撲などのケガが多い競技なので、今は治療器がないと不安なくらいです。

コンビネーション治療器で治療する、鬼塚 雅 選手
鬼塚選手は、治療器に精通していると聞きました。現在は、どのような使い方をしていますか?

鬼塚技を繰り出すときは、全身の力を使うので、筋肉が強張ってしまいます。寝ても筋肉が緊張しているときは、ウォーミングアップだけでは身体をほぐしきれません。コンビネーション刺激装置やハイボルテージ治療器を使って、肩甲骨周り、首などの筋肉をほぐしてから練習に向かいます。打撲系は、MCR(微弱電流)を使います。何も感じないので、ほかのことをやりながらでも長く続けられるのが良くて、スマートフォンを触りながら使ったり、トレーナーさんに別の部分をほぐしてもらいながら使ったり。同時にできると、治療も時短できます。忘れた頃に、音が鳴って、終わったなというくらい(笑)。

あとは、超音波治療器で筋肉を温めることもあります。温めた後にストレッチをすると、効果が全然違います。身体の奥の筋肉まで伸びる感覚があります。足の血流を良くするためにも使いますし、板(スノーボード)を持っている時間が長いと、腕が筋肉痛になるので、腕にも使います。

コンビネーション治療器で治療する、木村 葵来 選手
木村選手が治療器を使うようになったきっかけは?

木村僕が治療器を使い始めたのは、日本代表に入って、海外転戦を始めてからです。23年にニュージーランドの大会で腰回りを痛めて、歩くのも辛い状態になってしまいました。トレーナーさんに言ったら、1週間、丸1日、電気治療器で微弱電流を当て続けてくださいと言われました。ずっと部屋で当てていたら、日に日に回復していくのが分かりましたし、1週間経ったら、滑れる状態に戻っていて、練習に復帰できました。

ほかは、海外に移動したばかりで身体が標高に慣れていないときなどは、筋肉が突っ張っていたり、身体がむくんでいたりするので、電気を当ててもらって、動きやすくなるときがあります。

新たなチャレンジで表彰台へ

インタビューに答える、鬼塚 雅、木村 葵来 選手
最後に、今後の目標を教えてください。

鬼塚トリプルコーク1440(斜め軸に縦3回転、横4回転)という新しい技に取り組んでいるので、25年3月にスイスで行われる世界選手権にタイミングを合わせて、メダルを獲得したいと思っています。それから、世界規模の総合競技大会に再挑戦してメダルを取ることを一番の目標にしています。

木村まずは、シーズンを通してケガをせず、ベストを尽くすこと。大会では、予選をしっかり勝ち上がるところは大事にしたいです。予選は、難度の高い大技ではなく、成功率の高い技で滑ることが多いのですが、しっかりと点数を取るのが意外と難しい。でも、決勝に進んでしまえば、こっちのもの(笑)。海外のビッグエアの大会は、何万人ものお客さんが見てくれるので、あの雰囲気が好きです。ビッグエアは、昨シーズン、年間チャンピオンになったのですが、日本の選手はスロープが弱いと思われているところがあります。すごくクリエイティブな滑りをやってくる海外の選手に対抗して、スロープスタイルでも表彰台のてっぺんを目指したいですし、今季は、どの大会でも表彰台に上がりたいです。

鬼塚 雅(おにつか みやび) 選手
鬼塚 雅 (おにつか・みやび)

1998年10月12日生まれ。熊本県出身。
ISPS所属。
5歳でスノーボードを始め、小学校1年時に初めて出場した大会で優勝を果たすなど、幼い頃から国内外で活躍。2015年のスノーボード世界選手権女子スロープスタイルでは、男女を通じて史上最年少となる16歳3カ月で優勝を果たす。
2018年の平昌オリンピック女子ビッグエアで8位入賞。2020年アメリカ・アスペンで開催されたX Games Aspen女子ビッグエアで優勝。2023年の世界選手権においては、スロープスタイル3位・ビッグエア2位と両種目で表彰台に登る。

木村 葵来(きむら きら) 選手
木村 葵来 (きむら・きら)

2004年6月30日生まれ。岡山県出身。
ムラサキスポーツ所属。
本格的に競技を始めたのは中学校1年と遅いながらも、中学校2年時にプロ資格を取得。以後、数々の大会で優勝を飾る。
2023-24シーズンのスノーボード・ワールドカップ、ビッグエア種目において、初戦2位、第2戦3位、第3戦5位の好成績を収め、種目別優勝を達成。ビックエア種目の年間王者となる。
2024年もアジアカップ ビッグエア3位、全日本選手権大会スロープスタイル優勝・ビッグエア2位、ヨーロッパカップ スロープスタイル2位と活躍を続ける。