INTERVIEW インタビュー

本田美登里

西井玲子

Midori Honda/Reiko Nishii

代表チームの躍進を支えた2年間

異なる文化、異なる環境の中で世界に挑む

2024.4.19

向かって左より、西井 玲子(にしい れいこ) 氏、本田 美登里(ほんだ みどり) 氏

インタビュー・文=平野貴也 写真=戸田麻子

高まるコンディショニングの重要性

インタビューに答える、本田 美登里(ほんだ みどり) 氏
本田さんは、選手として日本女子代表で活躍された経歴をお持ちですが、なぜ指導者になったのですか?

本田私は、選手生活を終えたら、女子サッカーの普及に携わりたいと思っていました。引退後、一度は日本サッカー協会に入り、事務で女子サッカーに関わる仕事をしたのですが、現場が向いていると思い、2001年に岡山湯郷Belleから話をいただいたので、監督になりました。子どもにサッカーの楽しさを教える普及活動とは違って、勝負の世界に身を置くことになりましたけど、監督は、大きな決定権と責任を持つ役割で、自分がイメージするサッカーを実現できるやりがいを感じて続けています。

インタビューに答える、西井 玲子(にしい れいこ) 氏
西井さんは、なぜアスレティックトレーナーの道に進んだのですか?

西井学生の頃はバスケットボールをしていたのですが、高校、大学でケガが多く、離脱する時期が多かったです。当時は、負傷から回復させてくれるトレーナーさんは、あまり多くいなかったので、そういう存在になりたいと思ったのが、きっかけです。同じ競技だと、指導者みたいな気持ちになってしまいそうだと思い、静岡県の浜北西高校のサッカー部の選手たちを診るところから始めました。その後、クラシックバレエ、ソフトボールの選手を担当しました。どの競技も身体の機能を引き出すベースは同じですが、競技の特性によって、持久力と瞬発力のどちらを重視するかなど違いがありますし、指導者の要望もあるので、期待に応えられるアプローチ方法を考えるようにしています。

インタビューに答える、西井 玲子(にしい れいこ) 氏、本田 美登里(ほんだ みどり) 氏
お二人が一緒に仕事をするようになったのは、静岡SSUアスレジーナ(現:SSU静岡ボニータ)が最初ですね。

西井私たちの会社(エムエスマイスター)が先にチームに携わっていて、複数のトレーナーで担当していました。本田さんが来るまでは、サッカーの練習と身体作りは、別々に行うイメージでしたが、本田さんは、メディカルスタッフの仕事も把握していて、目指すサッカーをするために、明確なオーダーがありました。

本田当時は週1回と試合の帯同だったのですが、チームに来てもらう機会を増やしてもらいました。アスリートとしての身体作りから始めなければいけない選手が多かったことや、戦力が限られている中、選手が何度も負傷で離脱するようでは思うように強化できないので、ケガをしない身体作りが必要だったことが理由です。

現代のスポーツでは、状態の把握や身体の使い方を教えることは、サッカーを教えるのと同じくらい重要。いろいろな部分で科学的に実証されていることが多く、身体操作も専門性のある人たちの力が必要になっています。男子のJリーグでもフィジカルコーチやトレーナーがいるのが当たり前の時代。コンディショニングの重要性は、高まっています。

タッグで挑んだ新たなチャレンジ

インタビューに答える、本田 美登里(ほんだ みどり) 氏
2022年から、お二人ともウズベキスタン女子代表チームに関わりましたが、きっかけは?

本田世界で少しずつ女子サッカーが普及し、イスラム圏の西アジアでも機運が高まっています。そこで、アジアを中心とした海外に指導者派遣事業を行っている日本サッカー協会に相談があり、ウズベキスタンが女性の監督を探しているので頼みたいという話をいただきました。世界大会を目指すというので、6年後かと思ったのですが、2年後の話で驚きました。

国際試合に合わせて代表チームに選手を招集するスタイルの活動でした。大体、午前は身体作りで、午後にサッカーを教えました。マッサージをしてくれるトレーナーはいましたが、身体強化やリハビリのプランを立てられる人材がいませんでした。西井さんにアドバイスをもらったのですが、身体強化のトレーニングを行うことはできても、治療はできません。そこで、エムエスマイスターさんに、一定期間だけで良いから力を貸してもらいたいと無理にお願いしました。

インタビューに答える、西井 玲子(にしい れいこ) 氏

西井喜んで引き受けました(笑)! 最初は、日本に遠征してきたチームに1週間くらい帯同しました。外国人選手を多く診るのは初めてで、InBodyという体成分分析装置を使ってデータを取りましたが、思っていたよりも体脂肪が少なく、筋肉が多い部分は、日本の選手とは違いました。治療においては、表現の問題なのか、感覚が違うのか、「痛い」か「大丈夫」かどちらか極端で、その間の表現がないので、戸惑った部分もありました。

ウズベキスタンにも3週間程度の期間で3回ほど行って、現地でトレーニングやリハビリに携わりました。1週間程度で、負傷者をトレーニングできる状態まで回復させて、残り2週間で強化というイメージでした。グラウンドやシューズのコンディションが日本とは違う中で、切り返しなど俊敏性を求めるトレーニングをすると、炎症が起きる傾向にありましたが、治療器を使いながら筋力強化を図るにつれて、ねんざや炎症は減りました。

西井 玲子(にしい れいこ) 氏、本田 美登里(ほんだ みどり) 氏

©UFA

本田世界大会のアジア一次予選などで、強化期間と大会期間を合わせて協力してもらい、一番良いコンディションで臨めるようにしてもらいました。イスラム圏なので、ラマダン(約1カ月の断食)もあり、暑い中で練習をするので、コンディション作りは大変でした。

西井さんたちの強みは、選手のフィジカル強化ができるだけでなく、試合などの接触で負傷してしまった場合、リハビリのメニューを組んで選手を復帰させることもできること。フィジカルコーチとセラピストが別々に必要なのではなく、強化で追い込める範囲や現在の疲労状況なども把握してコンディショニングができるのは、すごく助かりました。

選手にも「アスリートに必要なマッサージは、オイルを塗ってもらって気持ちよくなるものではなく、筋肉の状況を確かめたり、回復させたりするものだよ」と教えました(笑)。最初は、選手が嫌がっていましたが、マッサージ後にコンディションが整うことを実感したようで、そのうち、選手が「ニシイは、次はいつ来るの?」と言うようになりました。

代表選手達も物理療法の効果を実感

選手に治療を施す西井 玲子(にしい れいこ) 氏

©UFA

現地に治療機器を持ち込んでいたのですね?

西井ウズベキスタンの選手は、過敏でした。負傷だけでなく、指圧でも刺激に敏感だったので、刺激を感じない超音波治療器を使うのが効果的だと思いました。日本の選手にも言えることですが、身体を触って動かす運動療法で治療をすると痛みや恐怖を感じて嫌がるケースがあります。その場合、以前は治療を行わず、痛みを抱えたままプレーしたり、復帰までの時間が長引いたりするケースがありましたが、超音波治療器を用いた物理療法で、復帰を短縮できるようになりました。

ウズベキスタンの選手は、ねんざによる腫れなど、見た目の変化が多い症状の方が、より異常や痛みを訴える傾向があるのですが、機器を10分使って、冷やすことを繰り返していると、痛みや腫れが引くので、選手が回復を実感していました。最初は機器の使用を面倒に感じている選手もいましたが、効果を感じてからは日常的に使うようになりましたし、機器を用いると数値化できるので、現地にいないときでも、本田さんから状況を聞いて、設定を指示する遠隔操作も可能になりました。機器の操作を繰り返すうちに、選手たちが「チョウオンパ」という言葉を覚えていました(笑)。

ウズベキスタン女子サッカー代表選手

©UFA

本田現地に来てもらえる時期は限られているので「治療器だけは、置いていって」とお願いしました。海外遠征でも必ず持って行きました。ほかに微弱電流でケアをするマイクロカレントも5台借りました。代表選手は、国内の5チームから招集していたので、1台ずつ所属チームに持ち帰って使ってもらっていました。代表活動期間外の時間は、私や堤喬也GKコーチが使うこともありましたね(笑)。

選手時代は、まだ治療器は珍しいもので、使った記憶はありません。でも、マイクロカレントは、静岡に来てすぐに交通事故で右足を痛めたときに教えてもらって、個人で購入して使い続けているので、効果があることは体感していました。

代表チームでの経験を活かし女子サッカーの未来を築く

ウズベキスタン女子サッカー代表選手

©UFA

代表チームを指導して感じた楽しさ、難しさは?

本田日本の常識が伝わらない難しさ、短期間で選手を預かって強化する難しさはありました。ただ、まさか、日本のなでしこジャパンや、強国として知られる米国代表と対戦できるとは思いませんでしたし、アジア大会にも出場できました。国の代表チームでなければできない経験がたくさんありました。

今後のウズベキスタン女子代表への期待は?

本田非常にポテンシャルの高い国です。女子でも身長が180センチくらいあって、しなやかに跳躍できる選手もいます。20歳前後で結婚して、競技を辞めるのが一般的な国ですが、私が指導を始めてからは、結婚した後にまた競技に復帰する選手もいました。現地では驚かれていましたが、そういう姿が少しずつ見られるようになると、もっと可能性が広がります。

代表強化も、私が携わったのは、たった2年間でしたけど、世界大会のアジア最終予選まで進み、あと1勝のところまで迫ることができました。選手が本気になって目標に挑戦してくれたことが嬉しかったです。きちんと準備すれば、近いうちにアジア予選を突破できる力は持っているので、ぜひトライし続けてほしいです。

西井さんは、ウズベキスタン代表の活動で何を得られたと感じましたか?

西井ずっと帯同することはできず、現地に行った短い期間で成果を出すことの大変さを感じましたが、それが不可能ではなく、できることだと分かったのは、大きな経験でした。チームスタッフの理解や協力がないとできないことですが、監督の言葉を拾って、形にしていく作業ができたのではないかと思っています。最初に日本に来たときは、日本の大学生を相手に勝てるかどうかだったチームが、世界大会出場まであと1勝のところまで勝ち進むなんて考えられず、選手やチームの成長を感じました。

インタビューに答える、西井 玲子(にしい れいこ) 氏、本田 美登里(ほんだ みどり) 氏
本田さんは、帰国されて、再び静岡SSUボニータで監督をされています。最後に、今後の目標を教えてください。

本田今回は、Jリーグのジュビロ磐田と契約をして、ボニータに出向する形で監督をしています。磐田は、今まで女子サッカーに積極的ではありませんでしたが、女子サッカーの盛り上げに関わりたいと言ってもらいました。2021年にプロリーグとしてWEリーグが創設されたタイミングで、大宮や広島が女子チームを作ってくれましたが、Jクラブに女子チームがあることは、女子サッカーの認知に大きな効果があります。私はジュビロ磐田と静岡SSUボニータが良い関係を作りながら、女子サッカーの普及を通して磐田という街の魅力をより深めていくためのお手伝いをしていきたいと思います。

本田 美登里(ほんだ みどり) 氏
本田 美登里 (ほんだ・みどり)

1964年11月16日生まれ。静岡県出身。
ジュビロ磐田事業本部 ホームタウン共創部 女子サッカースーパーバイザー/静岡SSUボニータ監督
小学校3年からサッカーを始め、高校 2 年時に日本女子代表に初選出。以降10年にわたり日本代表として活躍。
現役引退後は指導者の道に進み、⼥性初となるJFA公認S級コーチの資格を取得。岡山湯郷Belle、ユニバーシアード日本女子代表、AC長野パルセイロ・レディース、静岡SSUアスレジーナ(現:静岡SSUボニータ)で監督を務め、2022年1月にウズベキスタン女子代表監督に就任。2年という短期間でチームをパリオリンピック最終予選出場まで導いた。

西井 玲子(にしい れいこ) 氏
西井 玲子 (にしい・れいこ)

1977年5月11日生まれ。静岡県出身。
日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナー/鍼灸師
エムエスマイスター所属。
小学生からバスケットボールを始め、中学・高校・大学と全国大会で活躍。選手時代にケガに悩まされた経験からトレーナーを志す。
Jリーグ選手の国内外の自主トレ帯同やテアトル・ド・バレエカンパニー、NECプラットフォームズレッドファルコンズ、靜甲株式会社女子ソフトボール部、静岡SSUボニータ、DELIZIA磐田など、数多くのチームで活動を行う。
2022〜2024年まで、エムエスマイスター代表の川崎英正氏とともに、ウズベキスタン女子代表チームのフィジカルコーチ兼アスレチックトレーナーを務める。