INTERVIEW インタビュー

増田 成幸

Nariyuki Masuda

今できること、やるべきことを尽くす

未だ見ぬ限界への挑戦

2022.08.17

自転車ロードレース「増田 成幸」選手

インタビュー・文=三河賢文 写真=戸田麻子

勝つだけでなく、負ける中にもドラマがある

インタビューに答える、自転車ロードレース「増田 成幸」選手
自転車競技を始めたきっかけと、その他に取り組んでいた競技があれば教えてください。

増田物心がついてから野球に取り組み、小学1~3年生は地域クラブに所属していました。4年生で引っ越したんですが、ちょうどJリーグが開幕したころで、それから6年生まではサッカー。中学校では父親がやっていたソフトテニスを始めて、そこそこ活躍したんです。ソフトテニスは完全燃焼した感覚があり、次は何か違うことをやりたいと思って高校に進学。でも、高校1年は春休みに監督から誘われて、なんとなくソフトテニスを続けていました。

そんな中、テレビでロードレースの国際大会を観たんです。当時、自転車といえば競輪のイメージがありましたが、あれほど長い距離を、しかもアルプスやピレネーなど山を越えて走り続ける競技に衝撃を受けたのを覚えています。それが高校2年生の春で、すぐ「自転車に乗りたい!買いたい!」と、それまで貯めていたお金を使ってロードバイクを購入しました。

それでソフトテニスは辞め、自転車に打ち込み始めたのがキッカケですね。高校には自転車部がなかったので、自転車店のクラブで大学生や社会人と一緒に練習しました。

ご自身の貯金でロードバイクを購入されたというのは、それほど強くロードレースの世界に惹かれたのですね。現在までロードレースに打ち込まれてきて、競技としてどのような魅力を感じていますか?

増田私は競技として取り組んでいますが、とはいえ、自転車は移動手段であってほしいと思っています。自転車の良いところは、恐らく競技ではない部分にたくさんあるので。例えば自分の脚で遠くに行けますし、山でも舗装されていれば登れます。そこから見える景色も絶景で、風を切って走る爽快感などいろんなものが五感で感じ取れるんですよ。その気持ち良さの先に、競技があるのではないかと思うんです。

インタビューに答える、自転車ロードレース「増田 成幸」選手

もちろん、私は勝つためにやっています。サッカーや野球などの競技はチームで勝負を決めますが、ロードレースは100人出走したら1人しか勝てません。つまり、勝つ喜びはなかなか味わえないんです。日々、地味だし苦しいけど練習を積み上げて、それを乗り越えた先に何十ものレースを走る。それでも勝てない選手もいますが、だからこそ勝った瞬間の喜びは大きいんです。心から「この日のためにやってきた」と感じられますね。

でも、勝たなくてもいいんですよ。ロードレースは大会によって6~8人程のチームで出走し、その中から勝たせる選手を決めます。そして、その選手を勝たせるために身を削ってアシストするんですが、このアシストの働きでこそチームが勝てるわけです。優勝者だけにスポットライトが当たりがちですが、実際にはその中に感動的なドラマや敵チームとのやり取りもある。そこに、競技としての魅力があると考えています。

ケガがきっかけで得られた成長

インタビューに答える、自転車ロードレース「増田 成幸」選手
過去に出場した大会や経験の中で、ご自身にとって転機となった出来事は何でしょうか?

増田私が宇都宮ブリッツェンへ移籍したのは2011年ですが、2010年秋に人力飛行機の日本記録に挑戦するプロジェクトへ挑戦しました。そのとき、海上を飛んでいたら風に煽られてしまい、15mほどの高さから落ちて大ケガしたんです。国立スポーツ科学センターに入って、ものすごく厳しいリハビリを重ねる日々。もちろん、自転車には乗れません。自分にできることを探しながら、進歩しているかも分からない中で、ただ1日1日メニューに取り組んでいました。

そして宇都宮ブリッツェンへ移籍し、徐々に自転車に乗り始めていたら、ケガする前より自分が強くなっている実感が湧いたんですね。実はそれまで、私は大会で1勝もしたことがありませんでした。でも、その年は5~6月に出た国内レースで初めて優勝でき、合計で3勝という結果に。その後も、コンスタントに勝てるようになったんですよ。ケガがあったからこそ、一皮剥けて成長できた気がします。

コンディション維持には食事や時間の使い方が大切

インタビューに答える、自転車ロードレース「増田 成幸」選手
自転車に乗れない期間、自分自身と向き合ったことが成長に繋がったのかもしれませんね。競技する上ではケガの予防・治療はもちろん、日々のコンディション作りも欠かせないものだと思います。具体的に、どのような点に気を付けていますか?

増田私の場合、1年間で40~50レースに出場しています。ツール・ド・北海道やツアー・オブ・ジャパンのようなステージレースもあり、例えばツアー・オブ・ジャパンは8日間で総合優勝が決まるレ―スです。基本的に年間のトレーニングは、6月の全日本選手権と秋に地元・宇都宮で開催されるジャパンカップサイクルロードレースを軸に考えていきます。それに加えて、ツアー・オブ・ジャパンやツール・ド・おきなわなど、ポイントの付く国際レースを目標にトレーニングや調整を行っていくイメージですね。

コンディショニングとして大切なのが、どこで休みを入れるのか。常にピークでいることはあり得ないですし、ずっと身体を絞っていたら免疫も落ちます。たとえ一時的にピークパフォーマンスを出せても、その後には続きません。ときにはパワーを出すようなトレーニングを行う時期もありますし、高地で合宿することもあります。上手く休養も取り入れながら、トレーニングの効果を最大化させることが大切です。

特に気を付けているのが食生活。私は食べるの大好きで、ダメと分かっていながら、罪悪感とともにお菓子を食べてしまうなんていうこともあります。ただ、一般の方々以上に身体が資本ですし、気を付けていかなければいけない職種です。だから日々の生活で食べるもの、身体に入れるものには配慮しています。悪いものを取り入れれば、ケガに繋がることもありますから。

もちろん、身体的なケアも欠かせません。特に自転車では、腸脛靭帯や膝周りなどが繰り返しの運動により炎症を起こしやすくなります。こうした部位は、十分にケアするよう努めていますね。トレーニング後は、身体をいかに回復させて翌日に打ち込むかが大切。しっかり休むために積極的に入浴を取り入れ、セルフマッサージも行っています。

それだけ多くのレースに出場されていると、パフォーマンスを維持するためのコンディショニングは重要ですね。ちなみに現在、課題に感じていること、そのために取り組んでいることはありますか?

増田1~2月頃のオフシーズンには走行距離が月3,000kmを超えます。4~6月などシーズンに近づくと「距離を積む練習」より「厳しく追い込む練習」の割合が増えますが、それでも2,500~3,000kmでしょうか。そうしてトレーニングする中で、やはり年齢は一つの課題だと思います。39歳になりますし、劇的に伸びる部分は多くありません。むしろ、いかに下がり幅を緩やかにするか。これが課題ですね。回復力も若い人より下がっているので、例えば若い選手が遊びに行っている間に、どれだけ競技のために時間を注ぎ込めるか。できるだけ体力を使わず身体を休めるなど、時間の使い方が大切です。

インタビューに答える、自転車ロードレース「増田 成幸」選手
お子さんもいらっしゃると思いますが、ご家族との時間も確保するうえで、工夫されていることがあれば教えてください。

増田家にいるときは外遊びではなく、絵本を読むなど体力を使わないよう相手をしています。そうしたらインドア派に育って、たくさん本を読むようになったんですけどね。あとは、例えばシーズン最後となるツール・ド・おきなわは家族も呼び、レースを終えたら旅行して帰ることがあります。シーズン中は、なかなか旅行など楽しいことをさせられませんから。恐らく一般的な会社員と比べれば平日の帰宅時間は早いですが、だからといって、どこかに連れて行くといったことはできないので。

以前、サイクリングで汗を流して終わるアクティブリカバリーの日がありました。そのときはキッズ用のロードバイクを持ち帰って、自分はママチャリで子どもと1~2時間サイクリングしましたね。子どもの笑顔も原動力になるので、こういう時間はとても貴重です。

治療器はケガした後の必携品

インタビューに答える、自転車ロードレース「増田 成幸」選手
セルフケアに用いられる治療器ですが、初めて使ったのはいつですか? 実際の使用法と合わせて教えてください。

増田治療器は、ケガをするまで使用したことがありませんでした。初めて使ったのは2009年です。トレーニング中に放し飼いの犬が現れ、避けようとして転倒。骨盤や鎖骨を折り、1ヵ月ほどの治療を余儀なくされました。そのときマッサージでお世話になっている接骨院に、いくつか治療器が置かれていたんですね。そこで超音波治療器の周波数や照射間隔の設定などを詳しく教えてもらいながら使ったのが出会いです。調べてみると、整形外科など大きい病院にも設置されていますよね。今では、とても身近で欠かせない存在です。

それ以降、ケガしたときには治療器を使っています。以前、なぜか自転車選手なのに、アキレス腱が痛くなることがありました。そのときも、自宅で治療器を当てて治療していましたね。また、私は骨折がとても多いので、レース中の落車で骨折したときも治療器を使います。実際に使用することで、回復が早まっている気がしますね。2011年に人力飛行でケガしたときも、毎日当てていました。トレーナーには「当てればいいというものじゃない」と言われますが、午前と午後の2回。超音波治療の後に、微弱電流などを利用することもあります。

その他にも、2018~2019年頃に腰椎を折った際、自分で治療器をちゃんと当てられているか分からなかったことがあります。心配だったのでマジックで印をつけてもらい、奥さんに毎日当ててもらいました。こうやって治療器を使っていると、今できること、やるべきことを全部できていると、ポジティブな気持ちで落ち着いていられるんです。

実際のところ治療器が効いてるかどうか、実感することはできません。でも、科学的に立証されていますし、骨折が治癒する期間が短縮すると言われてます。ですから、「治療器を当てていなければ、もっと治療に時間がかかったのだろう」とは思いますね。立証されているもの、あるいはエビデンスの明確なものじゃないと、なかなか信じられません。試してみて実感があれば使うかもしれませんが、世の中には怪しい製品も多いですからね。その点でも安心して使っています。

インタビューに答える、自転車ロードレース「増田 成幸」選手
日々のトレーニングやコンディショニングで、トレーナーとはどのように連携・協力されているのですか?

増田身体に違和感があれば、すぐトレーナーのもとへ行くようにしています。トレーニング自体を見てもらっていたのは、昨年の国際大会まで。現在は、身体に問題が起きたときに相談しています。運動療法で痛みを取り除くなどの治療を行ってくれる方で、いつもいろんなことを教えてくれるんです。治療器についても、セカンドオピニオンのような位置づけで話を聞いています。例えば超音波の当て方や、設定を変更した際にどうなるのかなど。出力によって効果も変わってくるので、設定方法や使い方などをいつも聞いているんです。

勝てなくなるまで挑戦し続ける

インタビューに答える、自転車ロードレース「増田 成幸」選手
先ほど年齢のお話も出ましたが、これから競技者として目指したいこと、あるいはその先にある目標や抱負を教えてください。

増田私はすでに、競技者としてピークを過ぎているのかもしれません。でも、まだ競技引退後のことは考えていないんです。「今の自分はこれくらいかな」「これくらいでいいや」ではなく、今の年齢でできる限界までチャレンジしてみたいと思っています。

2021年は大きな目標としていた国際レースがあったので、そのために必死で打ち込めました。だから、また新しい目標を見つけて挑戦したいですね。でも正直、そのレース以上の目標を持つことは、なかなか難しいかもしれません。レースを終えた後はモチベーションがとても低下し、頑張ろうと思っても頑張れない状態になりました。レースではなんとなく活躍できるけど、そんな気持ちでいいのかと疑問を抱き、そんな自分が許せず引退した方が良いとすら考えたほどです。

引退時期については、常日頃から考えています。でも、まずは1年毎に限界まで自分を追い込み、やり切ること。その中で若い選手たちに打ち負かされ、「もう勝てない」という時期が訪れれば、気持ち良く辞められるのではないでしょうか。その意味で、きっと自分が辞める時期は若手選手たちが教えてくれるのだと思っています。

また、私自身が家族を持って子どもを授かったこともあって、多くの子ども達に自転車で走ることの楽しさを教えたいという気持ちもあります。競技以前の「遠くに行きたい」「風になる」みたいな感覚を、自分の子どもに限らず広めていきたいですね。現在もチームで子どもと接する機会があり、中高生とトレーニングすることもあります。そうした際は積極的に話しかけて、次世代を担う子どもたちと接しながら取り組んでいるんです。

自転車ロードレース「増田 成幸」選手
増田 成幸 (ますだ・なりゆき)

1983年10月23日生まれ。宮城県出身。宇都宮ブリッツェン所属。
高校2年時より自転車競技を始める。在学中の2006年にチームミヤタと契約を結び、プロのロードレーサーとしての活動をスタート。エキップアサダ、チームNIPPOなどを経て、2011年に宇都宮ブリッツェンへ移籍。
度重なるケガに悩まされながらも数々のタイトルを獲得。2020年、スペインでの国際レースにて20位に入り、東京2020オリンピック代表の座を射止める。