INTERVIEW インタビュー

伊藤壇

Dan Itou

アジアのスペシャリスト

次に続く人の指標になりたい

2013.03.8

プロサッカー選手 「伊藤壇」さん

1年1カ国、10年で10カ国のサッカーライフ

フィールドに立つ、プロサッカー選手の伊藤壇さん
毎年アジア各国のクラブを渡ってプレーを続けるという前人未到のサッカーライフを歩んでいる伊藤選手ですが、どうしてそのようなプレースタイルを選ばれたのですか?

伊藤毎年チームを移籍するのは、僕のポリシーです。初めての海外移籍先のシンガポールでプレーするようになってから、せっかく海外でやるのだったら、サッカーだけでなく、英語も話せるようになりたいし、現地の知り合いも増やし、人間的にも成長したいと思うようになりました。そこで「まずは海外で10年サッカーを続けるということ」、さらにせっかく海外でやるなら「1年1カ国、10年で10カ国」という明確な目標を作って宣言しました。プレーしてきたほとんどのチームで、契約延長、契約金増加という提示はあったのですが、それを断ってでも新しい国を積極的に選ぶようにしています。

現時点ですでに10カ国という目標はクリアしていますね

伊藤10カ国を達成した段階でも、まだまだサッカーを続けたい気持ちがありました。そんな時に見えてきたのが、ギネス記録です。現在のギネス記録は、16カ国移籍なのでそれを超えてみようと思っています。次の移籍が決まれば15カ国目になります。海外でプレーするようになった当初、僕は「アジアのスペシャリストになりたい」と言っていましたが、逆に「10年10カ国より、10年1カ国のほうがスペシャリストになるのではないか」というアドバイスももらいました。ただ僕の中では、その国に1年しかいなくても10年分に匹敵する活躍を見せたり、コネクションを作って、それを沢山の国で達成するほうがスペシャリストだと感じたんです。

インタビューに答える、プロサッカー選手の伊藤壇さん
そんな伊藤選手がサッカーを始めたきっかけは何だったのでしょうか?

伊藤サッカーを始めたのは小学校3年生の時で、周りの友達が地元のサッカー少年団に入り始めていました。ぼくはすでに野球をしていたこともあり、初めのうちはサッカーに対して、そこまで深い興味はありませんでした。ただ、その頃流行っていた漫画の「キャプテン翼」を読むようになって、実際にサッカーをやってみたらはまってしまいました。

当初から目標を自分で決めて、実行していたのですか?

伊藤そうですね。単純に自分が子供の頃から、とても負けず嫌いだったのだと思います(笑)。目標をしっかり自分で立て、それを達成する習慣はその頃すでに培われていましたね。リフティングできるまで家に帰らないと決めて練習する日もありました。

不動のレギュラーを目指して目標をクリアし、積み重ねてきた

インタビューに答える、プロサッカー選手の伊藤壇さん
その後、伊藤選手は大学に進み、Jリーグに入ります。

伊藤Jリーグに入るまで、自分の計画した通りに進めることができました。高校卒業で、Jリーグに行く選択肢もあったんですが、教員免許は取っておきたかったので、大学まで行きました。絶対教師になるという強い思いがあったわけではなく、サッカー選手になるということは、いずれ引退することも考えないといけないと思い、資格を取っておきたかったのです。

しっかりと明確な目標を持ち、行動し、そして結果を出されています。

伊藤高校を選ぶ際にも自分には明確な目標がありました。当時サッカーでは、室蘭大谷高校が断トツで強く、皆は僕がそこに行くものだと思っていたみたいです。しかし僕は、優勝しているチームに行くのは、全国大会にいくのが当たり前で、それ以上の目標を立てにくい。それならば、万年2位の登別大谷高校に行って、全国へ行こうと考えました。実際にその目標は、高校3年生のときに達成することができました。

リフティングする、プロサッカー選手の伊藤壇さん
高校3年生で全国に出るためには、相当な努力だったと思います。

伊藤1年生の頃は、応援と球拾いの日々で、相当悔しい想いをしました。サッカーの遠征の登録は20人だったのですが、1年生だった当時の僕の実力は18~20番目くらいだったと思います。しかし、蓋を開けると遠征メンバーから外れていました。「なんで僕より実力のない上級生が選ばれるんだろう」という悔しさがありましたが、「微妙な位置にいるからこんなことで気になるんだ。不動のレギュラーになれば、18~19番目のことなど悩まなくていい」と切り替えるようにしました。

考えを切り替えたことで、その後スタンスは変わりましたか?

伊藤人より努力するという姿勢は変わりませんが、目先の目標も設定するようになりました。例えば、「同じチームでもライバルを決めて、ライバルが1時間練習したら、自分は1.5時間。1週間後にはこうなっていよう」など、目先の目標も持つようにし、それをクリアしたら次の目標を立てるようにしました。現実的な目標をクリアし、積み重ねることで今に到達できたと思っています。

海外を志向することになったきっかけはなんだったのですか?

伊藤もともと「サッカー選手になる」ことと、「海外に住む」という二つの夢を別々の人生として漠然と描いていたのですが、その後Jリーグで契約が終了になったとき、サッカー選手で海外に住めれば、一石二鳥だと考えるようになりました。そんな時、たまたま雑誌でシンガポールのクラブチームが選手募集テストを行うとの記事を見て、やってみようと即決意しました。

ドリブルをする、プロサッカー選手の伊藤壇さん
アジアで活躍する選手たちのサッカーに対する意気込みはどのような感じなんですか?

伊藤アジアの国々でプレーしている選手たちはハングリー精神がすごいです。僕自身もそうでしたが日本の場合、Jリーグ自体は盛り上がっているけど、チームのためにとか、たとえ得点に結びつかなくてもプレー自体を評価してくれる。そして選手のどこかに「たとえサッカーが駄目でも、バイトで食べていける」というような感覚がどうしてもあります。アジアでは、「サッカーで食べていく」という意識が強いブラジルなどのように自分の給料で家族全員を養っている分、自分自身をPRする意志はとても強いです。チームメイトでもライバルの評価を上げてしまうようなパスも安易にはしないし、ゴール前でシュートするかどうか迷う場面があれば必ず自分でシュートします。

ご自身はアジアと日本でのサッカー、どちらのほうが合っていると思いますか?

伊藤僕は、今のアジアでのサッカーをしているほうが好きですね。評価が分かりやすいのが自分には合っている気がします。
自分が良ければ給料に反映されるし、逆に駄目なら来月どうなるか分からない。また僕は、小さい頃から所属するチーム内で常に1番でやってきました。ただ、Jリーグに入ったら、僕より上がいくらでもいるという世界でした。今までの学生時代は、チームでは王様のような感じだったのが、Jリーグでは仮に試合に出てもやはり使われる側という位置。開幕戦にスタメンで起用してもらえたりとプロ生活としては最高のスタートは切れたと思いますが、やっぱり「使ってもらわねば」という緊張感はずっと持っていましたね。

ケガをしてしまったら、いかに早く回復させるかが重要だった

ドリブルをする、プロサッカー選手の伊藤壇さん
逆に言えば実力次第で結果もすぐに求められると思いますが、プレッシャーも相当多いのではないでしょうか?

伊藤そうですね。ケガをしていると即解雇になるので、ケガについては人一倍気をつけるようになりました。アジアの国々では、日本のチームのように治療器がしっかり揃っていて、サポートをしてくれるわけではありません。そのため、究極は自身でケガをしない身体づくりに取組むことが一番です。しかし、サッカーをしている以上、ケガをしないでサッカー人生を終える事はまずあり得ません。だから仮にケガをしてしまったら、いかに早く回復させるかがとても大切です。そこで愛用しているのが超小型微弱電流刺激装置です。

治療器を使うきっかけになったのはどんな理由からですか?

伊藤治療器を使うきっかけになったのは、夏奈鍼灸接骨院です。僕も治療器についてよく知らなかったのですが、僕の専属トレーナーをしてくださっている吉川院長に「とても良いから使ってみて」と言われたのがきっかけですね。そうはいってもやはり最初は半信半疑でした。僕の場合、ケガで多いのが肉離れ。それが明らかに減りました。治療器を使うようになってから、ここ1~2年はほとんど肉離れになっていません。おそらく、ちょっとでもピリっと痛みがでたときに使うので、疲れを残していないことが良いのではないかと思います。そのような意味では、予防的な使い方をメインとしていますね。

特に肉離れなどのケガは一度なるとクセになってしまうことが多いと聞きます。

伊藤そうですね。肉離れを起こしてしまってからでも、この治療器を使えば、回復が早まるのでしょうけれど、おっしゃったように肉離れは右足がなったら、次は左など連続することが多いですね。また、骨折や捻挫と違って腫れるなどの見た目の症状が分かりにくいので、特に注意をしています。

超音波治療器でコンディショニング中の、プロサッカー選手の伊藤壇さん
特にケガに関しては、国内にいた頃より気をつけられていますか?

伊藤日本ではケガをしても、治療をしてもらったり、ケガ用のメニューを組んでもらえるので、差し迫った焦りを感じたことはなかったと思います。海外では、例えば大きなケガをすると、翌日新しい外人がテストにくるようなこともあります(笑)。そうするとやはり気持ちだけが焦って、ケガをして8割くらいしか回復していないのに練習をして、その結果また同じようなケガをしてしまうこともあります。だからまずは、ケガをする前に予防することがとても重要です。病院にある治療器だとなんとなく集中できないことが多いのですが、超小型微弱電流刺激装置なら本を読みながらでも、横になりながらでも使えて、治療しているという感じがないのが良いですね。

いつでもどこでも使えるのがいいと言う方は非常に多いですね。

伊藤初めは音楽プレーヤーだと見られますよ(笑)。でもコードを辿っていくと「あれ?足にコードが!?」みたいな(笑)。僕はスタイリッシュで、コンパクトなところが非常に気に入っています。特にコンパクトというのは、僕の希望とピッタリでした。スパイクだけでも結構な重さになるのですが、これなら簡単にもっていけるし、電池の持ちも良いので嬉しい限りです。チームメイトにも練習中に貸してあげたのですが、そのうちチームメイトは僕の鞄から勝手に取り出して使うようになったりしていました(笑)。

アジアでサッカーをしてきて本当に良かったと思う

インタビューに答える、プロサッカー選手の伊藤壇さん
今後、伊藤選手のようにアジアで活躍される選手がどんどん続くことを期待します。

伊藤今では、元日本代表選手がアジアに行ったりと選択肢として考えられるようになったことがとても嬉しいですね。この流れがもっともっと増えてくればと思います。そのためにも、僕がもっとアジアのサッカーを広めていくことが大切だと思っています。日本人サッカー選手にも色々な選択肢をもってもらい、知った上で色々な可能性にチャレンジしてほしいです。日本人は、概してルートを決めたがる傾向がありますが、日本が今後強くなるためにはいろんなタイプの選手が出てきた方がいいと思っている。そのためには、いろんな国のいろんなサッカーを吸収して日本に還元するのがよいと思っています。

サッカー選手としての活躍の先にどのような目標を描いていらっしゃいますか?

伊藤僕は海外での生活が長いからかもしれませんが、ガッチリ目標を1つにしぼってしまうと、軌道修正できない状態になってしまうので、常に目標となる選択肢を2つ、3つ持つようにしています。そのため当面のギネス記録更新という目標の先にもいろいろあって、選手紹介をするエージェントも面白そうだし、監督として色々な国を回りながら、指揮をとるのもいい。また、解説者もしてみたいですね。いずれにせよ、自分に続く人の指標となれればいいと思っています。今は、次々に目標ができることを楽しむ日々です。
使える言葉も、現地での知り合いもかなり増えました。状況は日々常に変わってきている分、常に成長している実感があり、サッカーを純粋に楽しむことができています。僕は、やっぱりアジアでサッカーをプレーしてきて本当に良かったと思います。僕が行く国では、大体がその国でプレーする初めての日本人です。だから、先駆者としてのプレッシャーはありますが、日本を代表していると思い、僕がその国へ行ったことで後に続く日本人選手が入りやすい環境が整えられればとの想いを大切にこれからも頑張っていきたいと思います。

プロサッカー選手 「伊藤壇」さん
伊藤壇 (いとう・だん)

1975年11月3日北海道札幌市出身のサッカー選手。
大学卒業後の1998年にブランメル仙台(現ベガルタ仙台)に入団。その後アジア諸国を転々とし、現在までに日本、シンガポール、オーストラリア、ベトナム、香港、タイ、マレーシア、ブルネイ、モルディブ、マカオ、インド、ミャンマー、ネパール、カンボジアの14の国・地域のリーグでプレー。サッカーを通してアジアで得た貴重な経験を多くの人々に伝えている。