山田
大記
Hiroki Yamada
目標は大事だけど それだけじゃない
強くなるために必要なこと
2012.09.05
実力不足の辛さと、ケガの悔しさ
- 山田選手がサッカーを始めたきっかけは何だったのでしょうか?
-
山田幼稚園の頃にちょうどサッカークラブがあり、親に勧められて入ったのがきっかけですね。Jリーグ元年の頃だったので、子供ながらにJリーガーになりたいと思っていました。
- 高校からサッカーの名門藤枝東高校に入学されましたが、スカウトは多かったですか?
-
山田そんなことはないですよ。中学時代は全く試合に出れない時期がありましたからね。
- 高校生の頃から伸びてきた感じですか?
-
山田そうですね。監督の服部先生が公式戦第一戦から使ってくれて、常にトップチームの中で三年間プレーさせてもらえました。中学時代に試合に出られずに失った自信を再び取り戻せたこともあって、すごく成長できたと思いますね。
- 今までで一番辛かった時期や思い出は?
-
山田中学の時に試合に出られなかったときが一番辛かったですね。
- 中学の時、試合に出られなかった理由はなんだったと思いますか?
-
山田実力ですね。
- それは自分でも認めていた部分だったのですか?
-
山田まぁ当時は自分の方が上手いとか思ってた部分もありましたね。でも逆にそう思ってたからこそあまり弱気にならずに頑張ってこれたという面もあります。
- 昨年(2011年)ケガをされましたが、その時よりも悔しかったですか?
-
山田昔と違って今は色々なことをきちんと考えられるようになっていますし、ケガっていうのは自分の責任だと思っています。だから、悔しさはもちろんありますが、中学時代の悔しさの方が大きいものでした。ケガのくやしさという点では大学4年生の時のほうが辛かったですね。最後の大会に出られなかったわけですから「4年間やってきて最後がこれか」っていう悔しい思い出があります。
昔から身近な存在だった治療器
- そういうこともあって筋トレや治療器でのコンディションケアを意識的に行っているのでしょうか。
-
山田そうですね。筋トレはパフォーマンスを上げるということと、ケガを予防するという意味合いもあるんですよね。コンディションというのはある程度自分自身で試合の時にピークに持っていけるようにしなければいけないと思っているので。治療器やマッサージなどのサポートもあるんですが、僕にとっては筋トレもすごく大事なコンディションケアだと思っています。
- 超小型微弱電流刺激装置をお持ちとのことですが、どこで使っていますか?
-
山田自宅だったり、移動中だったりですね。基本痛みがある時に使っています。
- 効果は実感されますか?
-
山田ん~、まぁ正直なところ痛みがある時は様々な治療を同時に行うので、何が効果があったのか特定はできない部分はあるんですよ(笑) 。 でも大学時代から小型電流刺激装置のマイクロカレントを使っていて、回復が違うなと感じているから今も使っています。
- プロになる前から治療器を使ってたんですか。
-
山田藤枝東高校の頃から超音波治療器とかがあったんですよね。明治大学時代はすぐ近くに治療院があって、そこのトレーナーによくケアしてもらっていました。
- 昔から身近に治療器がある環境だったんですね。
-
山田そうですね。ですからプロになってから超小型微弱電流刺激装置もすぐ買いました。
- 周りのプロ選手で治療器を知ってる人はいましたか?
-
山田少なかったかもしれないです。僕も超小型微弱電流刺激装置のことはトレーナーから小型電流刺激装置と同じマイクロカレントがついてるって聞いて知りました。チームにある台数には限りがあるので、だったら自分で買おうと思いました。やっぱりケガが多いのを自分でも分かっていますから、ケガをしないコンディションケアが今もこれからも一番大事かなと思っています。
- 現在のコンディションはいかがですか?以前の疲労骨折のケガの経過は?
-
山田今はとりあえず大丈夫ですね。
- やはり治療器があると助かりますか?
-
山田そうですね。間違いなくコンディションが変わりますから大事ですね。自分自身も興味があるので。
- 去年は第五中足骨を疲労骨折してしまったそうですね。今回お使いになった超音波骨折治療器も低出力超音波なので、体感はないと思いますが、いかがでしたか?
-
山田確かに体感はないですね。でもこういうのは持ち運びができる治療器っていうのは、移動の時とか休んでる時とか、いつでも使えて便利ですよね。
- サッカーの疲労骨折というのは利き足が関係してくるのですか?
-
山田いや、どうなんでしょうね。僕は両足折れたんで、そうでもなさそうですね。体重のかけ方とかなんでしょうね。
- 接触プレーのケガが原因というわけではないんですね。
-
山田大学時代の左足の骨折の時は接触プレーでひねってグキっとなった時に痛みを感じて、あ、やばいなっていう感じでしたね。去年の右足の骨折の時ははっきり痛みがなかったので、そのままプレーを続けて、シーズンオフに合わせて手術をやろうかって感じでした。
- 香川選手も疲労骨折をしていたようですね。
-
山田そうですね。スクリューを入れてても折れてしまったみたいな話ですから。根本的に重心をコントロールして治していくのが大事なんでしょうね。
- そうはいっても急に直せるものでもないですよね。
-
山田そうですね。難しいですね。練習中は意識できていても、試合中になるとパッと動いたときにどうしても意識が外れてしまうことがあります。
フラットな自分を作る
- 試合前にお気に入りの曲を聞いたりしますか?
-
山田あまり試合前には聞かないですね。入り込みすぎて気持ちが高まり過ぎると過緊張みたいになってしまうこともあるんですよ。高校の時とかかえってガチガチになってしまったこともあるので、今は試合前にはあまり聞かないですね。
- 平常心で試合に臨みたいということですね。
-
山田そうですね。逆に今日はボーっとしているなって感じたら音楽を聴いて気合いを入れたりしてフラットな状態にしますが、公式戦となるとミーティングや入場で自然と気持ちが入っていきますからね。
- 自分の状態をそうやって見られるというのは、客観的に自分や周りを見るキャプテンらしい素質なのでしょうか?
-
山田大学時代から自分や周りを客観的に見れないといけないとは思っていたので、たしかにそういう部分があるかもしれません。後輩たちに何か物事を言う場合って逆に発言する自分の人格も問われることになるわけですから、できる限り自分を客観的に見るようにしていましたね。自分も「この人に言われるなら仕方ないな」って思える素晴らしい先輩たちがいたので、そういう人を見本としていました。
- なかなか自分を客観的に見るというのは難しいと思いますが。
-
山田僕は、物事の変化に対して自分の心に何かしらのリアクションがあった時に自分の状態が分かると思います。例えば味方のミスなどがあった時に自分の心が反応したり、審判に文句が言いたくなった時には「あ、イライラしているな」って気づきますね。そこから「今こういう状態なんだな、じゃあ次はこうしよう」って考えるようにはしていますね。
- そういった感覚はゲームメイクする立場の選手には必須の要素ですよね。
-
山田それは分かりませんが、サッカーを続けてきた中で身に付けなければいけない要素だと感じました。 大学時代には高校から上がってくる選手もいますし、ユース出身の選手もいましたから、上下関係やらサッカーのことでも割と意見が食い違うことが多かったりするんですよ。自分のミスをチームのせいにしたり、逆にチームのミスを自分の責任のように感じてしまったり、様々な考えや性格を持つチームメイトがいました。でもそこから努力して、頑張って成長していく人も、プレッシャーにつぶされてしまう人もいました。それを見て、自分がどういった道に進まなければいけないのかを常に考えていました。
- 自分のことも周りの事もよく見えていますね。
-
山田だから腹黒いとかって言われるんですよね(笑)。
- チーム内では腹黒キャラなんですか?(笑)
-
山田まぁ若手の中ではそんな風に言われますね(笑)。前田さんにも言われます。
- 前田選手はやはり心強い存在ですか?
-
山田そうですね。今年ゲームキャプテンを任せてもらっていますが、誰が見てもジュビロ磐田のチームのエースは前田さんで、チームのキャプテンは川口能活さん。他にも頼もしい選手がたくさんいるチームなので、前田さんはじめそういう選手のおかげで、自分一人で引っ張っていかなきゃいけないというプレッシャーみたいな感覚はないんですよね。
目標を目指して頑張るのも大事だけど、それだけじゃない
- これからは日本代表になって、ブラジルW杯を目指すのが目標ですか?
-
山田大学時代の監督にも「お前はW杯に出なきゃだめだ」って言われていて、「まぁ頑張りますよ~」ってヘラヘラしてたんですが(笑)、大学の先輩に長友さんがいて、「出たい」じゃなくて「出る」という気持ちでないとW杯の舞台には立てない、というようなことを言っていたので自分もそう思うようになりました。目標を高くして、努力の結果出れなかったのなら仕方ないですけど、そういった強い想いがなければ到底実現できない事ですから。それと同じようにジュビロ磐田のリーグ優勝も目標ですね。これは個人とチームの違いはあったとしても同じ努力の方向にあるものなので。
- 海外移籍はどうなんですか?
-
山田そこが一番難しいですね。海外でやりたいという気持ちもありますし、やっぱり今代表に定着している選手との競いにおいても、アピールできるポイントにもなりますから。プロになるときから海外でやってみたいという気持ちはありましたし、W杯で戦うためには海外の選手と戦った経験が必要だとも思いますから。ですがそこに関してだけはジュビロ磐田の優勝とは違った目標となってしまいますので難しいところなんですよね。もちろん海外から声がかからないといけないわけですけど、そういう声がかかったときにジュビロ磐田の優勝のために残るのか、自分個人の海外挑戦、W杯出場っていう目標の為にチームを出るのか、それを決断する際には、チームと応援してくれているサポーターのみんなが納得してくれる形で決めたいと思っています。
- 本当にジュビロ磐田が好きなんですね。
-
山田そうですね。もうジュニア時代の小学校の頃から10年間ずっとお世話になっていますし、たとえ海外にいったとしても、日本に戻ってきた時にはまたジュビロ磐田でプレイしたいですね。
- 山田選手にとってサッカーとはどういったものなのでしょうか?
-
山田もちろん自分にとってサッカーっていうのは一番好きな事ですし、一番自分が充実を感じるものですね。でもこれは自分一人でできていることじゃなく、周りのスタッフやサポーターの応援があってこそ続けられるものだと思うので、日頃から感謝の気持ちを忘れないようにしています。だから自分の夢を叶えることも、応援してくれた人たちに恩返しをするのも、自分にとっては同じサッカーなんです。そういった意味ではサッカーは今の自分の全てのモチベーションを傾けていると言えるものです。僕にサッカーが無くなったら…結構辛いですね。
- 結構…で済みますかね(笑)。
-
山田いつまでサッカーができるのかは分からないものです。監督からもよく言われてるんです。こうしてサッカーができることを当たり前だと思わないようにって。今こうして普通にピッチに立ってプレイができていることが本当に幸せだなと思います。目標を目指して頑張るのも大事だけど、それだけじゃないと思うんです。ニーチェの言葉に「目標ばかりに目がいって、その過程を無駄だと思ってしまうのは人生を失うことと同じだ」みたいなのがあるんですよ。「山登りに例えるなら、頂上を目指しすぎて、その途中にある美しい風景などを見ない人が多すぎる」と。自分にも目標がありますが、その途中にいる今の自分にも幸せを感じたり、感謝をしなければいけないと思っているんです。サッカーというスポーツ自体にも感謝したいですし、現状に満足はしていないですけれど、これ以上ない幸せな環境だとも思っているんです。
1988年12月27日生まれ。静岡県浜松市出身。
ジュビロ磐田のジュニアユースからサッカーの名門藤枝東高校に進学。その後明治大学へ進学。大学3年時にはユニバーシアード代表にも選ばれ、卒業後ジュビロ磐田に入団。同期入団は、小林裕紀と金園英学。 2011年、1年目にして背番号10を任され、2年目にはクラブ史上最年少ゲームキャプテンに。また、日本代表候補トレーニングキャンプメンバーに初招集された。今後の日本サッカーを担う選手の一人。