渡邉
一成
Kazunari Watanabe
意地の張り合いの場
どれだけ強い意志を持って頑張ってきたか
2012.06.01
神山選手と自転車のかっこよさに魅かれて
- 自転車競技の道に進んだきっかけはなんだったんですか?
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渡邉テレビで神山雄一郎さんの特集を見て、初めて自転車競技というものがあるということを知りました。父からそういうプロの道もあることを教わりまして、そこからですね、プロを目指すようになったのは。
- 魅かれたのはどういう部分だったんでしょうか?
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渡邉神山選手の自転車競技に対する姿勢とかそういった部分もありましたし、純粋に自転車そのものがカッコ良かったということもあります。
- 高校一年生の時に目指すようになって、その後競輪学校に行かれたんですね。競輪学校はどうでしたか?
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渡邉全寮制ですし、僕も初めて親元を離れた生活でしたから新鮮でした。最初学校に慣れるまでは大変でしたが、慣れてしまえば楽しいというか、辛いということはなかったですね。高校からすぐに入学できたのも良かったです。
- 特に印象深い思いでやエピソードはありますか?
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渡邉色々ありますね(笑)。やっぱり同じ世代の仲間が集まって寮生活をしたので、色々な話を聞けたりしました。バカなこともやりましたけど(笑)、楽しかったです。
- あの急勾配のトラックバンクで、複数の人間がものすごいスピードで駆け抜けていきますよね。落車の話をよく聞きますが、怖くはないんでしょうか?
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渡邉大会で初めて走ったワールドカップの自転車競技大会の時は怖くて、自分の力の半分も出せなかったのを覚えていますね。
疲労を早く回復させるために治療器が必要
- 実際、最近落車でケガをなさっていますよね。
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渡邉去年の夏のイベントの時でしたが、肩鎖関節を脱臼してしまいまして。その時に治療器を使いました。
- その時初めて治療器をお使いになったんですか?
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渡邉いえ、それ以前から色々と使わせていただいていました。ナショナルチームの公認スポンサーで、様々なサポートをしていただいていますし、色々わがまま言ってコンディションケアしてもらってます(笑)。
- 最初に使うようになった治療器は超音波ですか?
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渡邉いえ、最初は個人的に小型電流刺激装置を購入して使っていました。それから超小型微弱電流刺激装置を使うようになって超音波も使うようになりました。
- 自分で使うようになったきっかけはなんでしょう?
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渡邉周りの競輪の選手が使っていましたから気になっていましたし、競輪のレースは一日一本走るんですが、走り終わった後の次の日の疲労感というのはすごいんです。なかなかその疲労感が抜けなくて、いかに早く回復するかを考えていた頃に治療器の存在を周りから聞いて、そこから自分で色々調べていったところ、身体に近い微弱な電流を流すのが回復を早めるという話を聞いてそれを試してみようと思ったんです。
- では自ら色々調べて研究していくうちに治療器にたどり着いたんですね。
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渡邉そうですね。競輪の世界では治療器は身近にありましたし、小さい頃から通っていた接骨院さんでも使っていました。
- もともとセルフコンディションケアに気を使ってらっしゃるんですね。
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渡邉気になりますからね。試合の結果が大きく変わる事もあります。ワールドカップの3日間といった短期間の決戦であれば気力でカバーできるんですけど、その後となると疲労が抜けなかったり、痛みがひどかったりしますからね。
- 競輪の大会というのはどのくらいの期間走るものなんですか?
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渡邉競輪の大会は4日間一日一本走ります。一日一本というとそれほどでもないように感じられるかもしれないのですが、この競技もしくは僕自身の特長なんでしょうかね、すごく疲労が残るんです。それを早く回復する上で治療器は最良の道具だと思っています。
- 効果を一番実感するのは疲労ですか?
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渡邉疲労もそうですし、腰の痛みで超音波治療をしたときも実感しましたね。
- 世界選手権の前の合宿で腰を痛めていたそうですね。
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渡邉仙腸関節ですね。
- よく痛める箇所なんですか?
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渡邉いえ、初めてですね。競輪選手で仙腸関節だけを痛めるという話を聞いた事は無いです。
- 原因はなんだったんですか?
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渡邉疲労ですかね。長い時間飛行機に乗って移動していたのでそれで悪化したのかもしれません。何しろこの身体で足がご覧の通り太いので小さくなりながら座っていましたから(苦笑)。
- 確かに大変そうです(苦笑)。太もものサイズはどのくらいなのですか?
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渡邉太ももは63cmあります。ヒップも100cmちょっとありますね。
- 競輪の選手の片方の太ももが女性のウエストと同じくらいという話は聞いた事がありましたが、実際に拝見させていただくとものすごいですね(笑)。ふとももに治療器は使ったりするんですか?
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渡邉僕はないですね。それよりもやっぱり腰が一番痛めやすいですね。
- それはどの競輪選手でもそうなんですか?
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渡邉そうですね。だいたい他の競輪選手でも腰・膝が痛めやすいです。大会にいくとほぼ全員が背中や腰に(粘着パッドを)貼っていて、普段から微弱電流を流しっぱなしで生活してるっていう人が多いですよ。
- たくさんの方が治療器を使っているんですね。
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渡邉知らない選手はいないといっていいですよ(笑)。やっぱり一流の人が使っているものはみんなも真似して使いますから。「あれなんだろう?」ってなると、みんなが調べるので、小型電流刺激装置を使ってるんだなと分かるようになるんですよね。
試合を通じて恩返ししたい
- 2月の東日本震災支援第11回東西王座戦では見事一位を獲得していらっしゃいます。震災と言えば、ご出身が福島という事で当時は大変だったのではないですか?
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渡邉僕自身は東京にいたんですが、当時は震災の現地にいた家族の状況もがなかなか把握できない只ならぬ事態でした。今こうして平穏な状態にまで落ち着いてきたというのも奇跡だと思います。
- (成田選手、新田選手の)福島トリオとして活躍していらっしゃる渡邉選手ですから、やはり頑張ろうというお気持ちが強いですか?
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渡邉あえて福島のために頑張るという言い方は僕はあまりしないのですが、被災して大変な状況にも関わらず僕を応援してくださってる方々に「勇気をもらった」ですとか、「試合を見て頑張ろうと思えた」と言っていただけると、その恩返しといいますか、僕も試合を通して頑張ろうと思いますね。
- 食生活で気を使っている事はありますか?以前はお餅をよく食べていたという話を聞いていますが?
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渡邉結婚してからは、昔ほどお餅は食べなくなりました(笑)。今は妻がアスリートフードマイスターというアスリートのための食事を勉強して作ってくれているのでとても助かっています。
- 仕事以外の休みの日なども自転車は乗るんですか?
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渡邉はい。もう小さい頃から自転車っていうのは自分にとっての足ですし、好奇心旺盛だったので色々なところに自転車で冒険に行きましたからね。休日は実際に自転車に乗るというよりも、自転車の整備がメインですね。自転車屋さんなんか行ってしまうと一日中そこに居れてしまうくらいですね(笑)。
- ON/OFFの切り替えはどうですか?
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渡邉休みの日は休むようにしてますし、休日だから自転車の事を考えないようにしようという風にもしてないです。逆に休んでるときこそリラックスしてますから、今後の計画などをうまくイメージできたりしますね。
- 疲れたりしないんですか?
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渡邉逆に楽しいですね(笑)。疲れている時に考え事をするよりもリラックスしているときに考えた方がいいものが浮かんでくると思います。
- そこまでゆったりと心を構えられるのは強者ゆえの余裕といったところなんでしょうか?
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渡邉いえいえ(笑)。自分のことを強いと思った事は一度も無いですし、色々な人に支えられて自分は競技を続けられているんだと思っています。
どれだけ強い意志を持って頑張ってきたか
- 競技用の自転車のことを「走るだけのために存在する究極にシンプルで美しい乗り物」と評する人もいますが。
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渡邉まさにその通りだと思います。ギアは一つしかないので変速もできませんし、あくまでトラックを走るものなのでブレーキもないですからね。
- 渡邉選手はなんていう車種をお持ちなんですか?
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渡邉フランス製のLOOKに乗っています。一番最初にカーボン自転車を作ったメーカーなんですが、見た目も美しくて好きですね。
- 今ハマってるものってありますか?
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渡邉犬と遊ぶ事ですね(笑)。小さい犬なんですけど癒されます。
- 今後の目標は当然ロンドンオリンピックですか?自転車競技の中でメダルに一番近いのが競輪と言われていますが。
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渡邉メダルのことは意識せずやれることをしっかりやって、コンディションに気をつけながらきちんと力を出せれば結果が出ると思っています。
- どんな走りをしたいですか?
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渡邉自分の特徴を生かした走りができればいいんですが、相手次第、状況次第で展開が大きく変わるのが競輪というスポーツですので、心も身体も全てにおいて対応できるように準備したいですね。
- 前述の神山選手は「自分が強くなるにはより強い選手と戦わなければならない」とおっしゃっています。渡邉選手もそう感じることはありますか?
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渡邉そう思いますね。実際僕自身も個人的に国外の大会に出場したりして様々なことを吸収してきましたし、自分を含めて日本チームがこの先これ以上強くなるためには世界と戦わなければいけないのは間違いないと思います。
- 最後に、スポーツとしての競輪の魅力や、渡邉選手にとっての競輪とはどういうものなんでしょう?
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渡邉そうですね。両方に言える事だと思いますが「人間が走る」ということだと思います。そのときの選手たちの状況と判断でガラッとドラマチックに展開が変わる駆け引きがあるのがスポーツとしての面白みだと思います。自分自身にとっての競輪は、職業としての競輪ももちろんありますが、それまでに練習してきたことを発揮する、その試合で競っている9人の中で誰がどれだけ強い意志を持って頑張ってきたかを見せる「意地の張り合いの場」だと思います。
1983年8月12日福島県生まれ。
福島県立小高工業高等学校を経て、第88期生として日本競輪学校に入学。2006年アジア競技大会チームスプリントでは、(成田和也、新田祐大の)福島トリオで優勝。2008年全日本選手権スプリントを連覇し、チームスプリントでも優勝。2010年アジア選手権でケイリン種目連覇。2012年トラックレース世界選手権チームスプリントでは日本新記録を樹立。共同通信社杯競輪で優勝。2012年5月1日、ロンドンオリンピック日本代表選手に選出。