INTERVIEW インタビュー

増田

雄一

Yuichi Masuda

進歩した物理療法

トレーナーの引き出しを増やす大きな戦力

2008.10.30

アスレティックトレーナー 「増田雄一」さん

物理療法がスポーツの現場で必需品になった理由

インタビューに答える、アスレティックトレーナーの増田雄一さん
増田先生がトレーナーを始められたときの、トレーナー業界の状況について教えてください。

増田当時はプロ野球にはトレーナーが存在しておりましたが、その他の競技においてはトレーナーの存在はまだまだでした。 その後テーピングが日本に上陸するにあたり、テーピングを扱う会社(スポーツメーカー:ゴールドウイン、アシックス、ナイキ)がトレーナーを雇用するようになりました。私もミズノでトレーナー業を始め、陸上競技、バレーボール、卓球など様々な競技をサポートしてきました。

トレーナー活動をするにあたり、当時は情報も少なく、大変だったのではないですか?

増田そうですね。唯一の専門書「トレーニングジャーナル」はバイブルでしたね。当時、トレーナーを志していた人の必読書でした。 また、「スポーツ選手のためのリハビリテーション研究会」ができたのもこの頃で、トレーナー活動を行う上で、とても役に立ちました。

20年前の当時、物理療法は使われていましたか?

増田治療院では、低周波やホットパック、超音波は使われていました。ただ、トレーナー活動においてはあまり使われていませんでしたね。

他の競技も同様の状況でしたか?

増田サッカーの代表チームなどは、低周波、ホットパック、超音波は積極的に使用していたようです。

その後はどのように物理療法はスポーツ現場に普及したのでしょうか?

増田私は陸上競技をメインに活動をしていたのですが、1992年のバルセロナ五輪前後からはかなり使用されるようになりましたね。

なぜ物理療法が使用されるようになってきたのでしょうか?

増田やはり効果があるからです。また、トレーナーからやり方やポイントを説明すれば、自分でも使用できるという点も大きいですね。 アキレス腱炎や足底筋膜炎などによく使用されていましたし、現在の「携帯型小型電流刺激装置」と同じように、自分自身のセルフケア用として当時のトップ選手の何人かがMy超音波を持っているくらい、選手が積極的に物理療法を使用するようになってきました。

微弱電流による確実な効果と物理療法の進歩

インタビューに答える、アスレティックトレーナーの増田雄一さん
現在はトレーナーを取り巻く状況も変化してきてますか?

増田学べる学校も増え、また、日本のスポーツ文化の発展に伴い、プロ・実業団に限らず、学生に対してのトレーナー活動も行うようになってきました。 トレーナーを取り巻く環境は、この20年で大きく変わったといえるでしょう。

物理療法も大きく変化しましたか?

増田かなり進歩しましたね。特に微弱電流(マイクロカレント)は大きく変わりました。 私がミズノでトレーナー活動していたときは、海外製の250万円もするものを使用しておりました。微弱電流に関しては当時は、海外製のものしかなかったので、「携帯型小型電流刺激装置」は、小型・軽量ですし、トレーナー現場では欠かせない物になっています。

実際の治療効果はいかがですか?

増田私たちトレーナーはいろいろな手段を使って、対応していますので、1つの治療法の効果を見極めることは難しいです。ただ、選手たちの反応をみると、「アイシングだけの処置より微弱電流を併用することで、痛みの消失が早まった」など効果は確実にあがっているようです。

微弱電流を使用することで、ケガをした選手の復帰を早める可能性を高めることは間違いないでしょう。

他に物理療法が進歩していると感じることはありますか?

増田「超音波・電流コンビネーション治療器」のような複合式治療器は、スポーツ現場で大変役に立ちます。現場ではいろいろな症状、ケースに対応が必要になりますので、多くのモードが搭載されている器械は、トレーナーの引き出しが増えることになりますので、本当に大きな戦力です。

アスレティックトレーナー 「増田雄一」さん
増田雄一 (ますだ・ゆういち)

1984年大学を卒業、2年間の鍼灸専門学校で学んだ後、1987年ミズノに入社。アスレティックトレーナーとしての仕事を始める。2001年、東京都豊島区に「リニアート駒込治療院」を開設。治療院とトレーナー派遣業を行い、スポーツ現場をサポートしている。

経歴: ソルトレイクオリンピック 日本スピードスケートチームトレーナー (2002)/アテネオリンピック 日本選手団本部メディカルスタッフトレーナー(2004)/トリノオリンピック 日本モーグルチームトレーナー(2006)/アジア夏季ドーハ大会 日本選手団本部メディカルスタッフトレーナー(2006)/北京オリンピック 日本選手団本部メディカルスタッフトレーナー(2008)/他多数