INTERVIEW インタビュー

国枝慎吾

眞田卓

Kunieda/Sanada

魅せるプレーでさらなる高みへ

後につづく人の目標であるために

2014.10.23

車いすテニスプレーヤー 「国枝慎吾/眞田卓」さん

PHOTO:戸田麻子

車いすテニスとの出会い

インタビューに答える、車いすテニスプレーヤーの国枝慎吾さん
プレーヤーとしてのお互いの印象をお聞かせください。

眞田自分が車いすテニスを始めたとき国枝さんはすでに日本のトップとして活躍しており、今でもその背中を追いかけている目標の選手です。同時に年齢が近いので、お兄さん的な印象もあります。ぼくはどちらかというと子分的なイメージですね(笑)。お兄さん的なイメージと世界No.1プレーヤーとして尊敬する存在です。

国枝子分にした覚えはないけど(笑)。
眞田くんは20歳から車いすテニスを始めて、当初から必ずトップになると言われていたんですけれど、同時になかなか本気を出さないイメージがありました(笑)。3年前くらいから僕がトレーニングしている公益財団法人 吉田記念テニス研修センター(以下:TTC)で一緒に練習を始めてからどんどん実力がつき、ランキングも上がってきているので非常に楽しみにしています。リオデジャネイロまであと2年ですが、世界中の選手がマークし始めていると感じます。最近、眞田くんとよく練習試合をしていますが、同レベルの選手がいることで緊張感を持って、お互いのレベルをあげられるので助かっています。特に彼はフォアが素晴らしく、世界でも屈指の威力を誇ることがうらやましいですね。

インタビューに答える、車いすテニスプレーヤーの眞田卓さん
車いすテニス界を牽引するお二人ですが、バスケットボール、シッティングバレー、マラソンなど数ある車いす競技の中でテニスの道へ進もうと思われたきっかけは何だったのでしょうか?

国枝ぼくは9歳の時、脊髄腫瘍で車いすでの生活になりましたが、その前まで野球やバスケットボールをやっていました。実はテニスにはそれほど興味もなく、バスケットボール部だったことと漫画が流行っていて、車いすになってもバスケットボールをしようと思っていたのですが、家の近くにチームがなかったんです。そんなときにテニス好きの母が家の近くで車いすテニスのレッスンをやっていることを見つけてきて、なんとなく行ってみたのが始まりでした。それが11歳の時なので、もう20年以上通っていることになりますね。

眞田ぼくの場合は19歳の交通事故で車いすになったのですが入院先のリハビリ施設で、車いすバスケットボールをやっているのを見たことがこの道に進むきっかけです。そこで「バスケやりたいの?」と言われ、「出来れば車椅子テニスがしたいです」と答えたら、たまたまその人が車椅子テニス協会にも入っていて「一緒にやろうか」といってくれたんです。
もともと高校までテニスをやっていたので、すんなりと始めることができました。

車いすテニスの魅力

インタビューに答える、車いすテニスプレーヤーの国枝慎吾さん
お二人はいつ頃から世界を目指そうと思ったのですか?

国枝ぼくがパラリンピックやグランドスラム(国際テニス連盟が定める4大大会)を目指そうと思ったのは高校3年生のときです。それまでは週2回程度の練習だったのですが、その頃から今の丸山コーチと本格的にトレーニングをするようになり、目標が具体的になりました。それからは目標に向かって突き進む日々です。

眞田当初、ぼくは学校や仕事があり、そちらが優先となってしまって始めは車いすテニスを生活の中心にすることができない環境でした。でも本気を出していなかったわけではないんですよ(笑)。その後の埼玉トヨペットに勤めることが転機になりました。社長から「パラリンピックを目指さないか?」と言ってもらい、本格的に海外を回るなど上を目指せるようになりました。

車いすテニスの魅力について教えてください。

眞田車いすテニスはツーバウンドまで許される以外、ルールは全て普通のテニスと同じです。プレーしていて楽しいことは、健常の選手とも打ち合えることですね。
そして、見ている方に面白いのは車いすを巧みに操作するチェアワークだと思います。俊敏に動いたり、ダッシュしたり、ボールの動きを読んで動き回るのは非常に見応えがありますよ。ちなみに、国枝さんは世界NO.1のチェアワークの技術をもっています。ぼくも同じようになりたいのですが、まだまだです。

国枝眞田くんの言うとおり通常のテニスのルールでやっているので、もちろんテニスとしての楽しみはあります。そして、そこにチェアワークが加わります。チェアワークは選手としての個性が出るので見応えがありますよ。そういうものを全て含めてテニスと同じようだけれど、テニスとは違った楽しみ方がある、それが車いすテニスの魅力です。

インタビューに答える、車いすテニスプレーヤーの眞田卓さん
色々な動きを要求されるチェアワークですが、転倒なども多いのでしょうか?

国枝ぼくはあまり転ばないですね。でも眞田くんはよく転ぶよね?(笑)

眞田そういえば今年に入ってから全試合転倒していますね(笑)。それも車いすテニスの魅力じゃないですか(笑)。車いすで転ぶって、普通ではなかなか見られないですよ。

国枝(笑)。でもレベルに関係なく、転ぶ人と転ばない人がいるのは事実です。
世界ランキング2位のウデ選手もよく転ぶほうだし。
もしかすると、その辺りも魅力なのかもしれませんね(笑)。転んでも返す気迫は間違いなく見ていて興奮しますよ。

眞田ぼくの場合はわざと転んでいるんですよ。走っても届かないときに転んで頑張ってる感をアピール(笑)。
本当の理由を言うと転倒の原因に車いすの高さがあります。ぼくは身体が小さく、海外の大柄で力のある選手に対抗するため、車いすを高くする必要があるんです。そうすると重心が上になることで、振られて転倒することが多くなってしまう。身体の小さい自分が勝っていくにはそういった工夫も大切なんです。

国枝眞田くんも言うとおりチェアワークは本当に個性が出るところなので、グランドストロークやボレーなどプレー部分の他にそういうところも楽しんでほしいと思います。

後に続く人の目標であるために

インタビューに答える、車いすテニスプレーヤーの国枝慎吾さん
テニスを始める前と変わったことはありますか?

国枝性格で言えば子供の頃から変わっていません。もともと負けずぎらいで、テレビゲームやバスケットボールでも負けたくないといつも思っていました。そして勝つために裏でこっそり練習するタイプでしたし、今もそういう部分があります(笑)。 でも車いすテニスを通して学んでいることはとても大きいと思います。それは「人間やってみないとわからない」ということ。最初、世界トップのプレーを観たとき「これはかなわないな」と思いました。でも今振り返れば、当時の努力は生温いものだったと思います。着実に練習を続けることでトップの差を少しずつ縮め、始めは1ゲームもとれなかったのが、次は3ゲーム、1セット、そしていつしか勝つことができるようになり、世界一につながっています。

眞田自分の場合は、国内から海外に行くようになったことが大きな変化です。いろいろな国の文化やマナーに触れることでテニス以外の面でも人間として成長できていると感じています。

国枝まじめだね、本心?(笑)

眞田本心ですよ(笑)。

インタビューに答える、車いすテニスプレーヤーの眞田卓さん
国枝選手は、2009年に日本人初のプロ車いすテニスプレーヤーとなられました。それも「やってみないとわからない」という気持ちからでしょうか?

国枝なんでも挑戦してみようというよりは、後に続く人の目標をつくりたいという想いが強かったですね。 ぼくはプロになる前、大学で職員として働いていました。実は、当時から遠征にかかる費用も出してもらっていましたし、月々の給料も入っていたので環境的にはまったく問題がなかったんです。ただ2006年に始めて1位になり、活動を続けていく中で「このまま仮に35歳まで現役でプレーしたとして、引退後は不慣れな仕事で第二の人生を歩むか、またプロのプレーヤーになって何かを残すか」ということが頭をよぎったんです。 自分は恵まれていましたが、車いすテニス界は自費で出場することが多く、出れば出るほど経済的に厳しくなることが常識になっていました。

自分が1位になっても兼任だったら、その後に続く人にとっても「世界ランキング1位であってもここまでか?」と車いすテニスが夢のないものだと思われるのがすごく嫌でした。周りから「なぜプロに?」という声もありましたが、自分がやらなきゃいけないことだと思いました。例えば僕の活動がメディアにたくさん取り上げられれば、やってみたいという人が増えて車いすテニスを盛り上げることができますし、選手も活動に集中できる環境が整うことにつながっていくと思うんです。その分、ぼくは成績を出し続けていかないといけないし、勝利を重ねることが使命だと意識しています。

眞田国枝さんの活動は確実に広がりを見せていると感じます。埼玉トヨペットへ入るきっかけも国枝さんが活躍して認知拡大してくれたことが大きかったです。車いすテニス選手がどのようにスポンサーを見つければいいのか、遠征費はどのくらい必要なのかなど国枝さんの先例あったので提案しやすかった。ぼくもスポンサー、そして家族、友人の応援にしっかりと応えていきたいと思います。

さらなる高みを目指して

インタビューに答える、車いすテニスプレーヤーの国枝慎吾さん
高い志や気迫で結果を出されている国枝選手と眞田選手ですが、普段はどのようなトレーニングに励まれていらっしゃるのでしょうか?

眞田普段のトレーニングはTTCで大高コーチをはじめフィットネストレーナー、チェアワークトレーナーたちと課題点を話し合ってメニューを作っていきます。
また、日頃の生活ではバランスのよい食事も心がけていますし、家のトレーニングルームでは過去の試合映像を見ながらトレーニングしたりもしますね。

国枝内容的には眞田くんと同じような感じです。トレーナーと練習メニューを組み立てます。1日のスケジュールとしては3時間ほどテニスをして、2~3時間フィットネスといった感じですね。練習は週5~6日行っています。

インタビューに答える、車いすテニスプレーヤーの眞田卓さん
試合やトレーニング後のケアはどうされていますか?

国枝グランドスラムなど大きな大会ではトレーナーも帯同してもらいマッサージやストレッチをしてもらっています。ただ通常の大会では、主催者側が手配するトレーナーは多くても2名くらいです。20名ほどもいる全選手のコンディショニングをしようとすると1人あたり10分程度しかできず、大きな効果は求められないんです。だからぼくは、ポータブル低周波治療器を使うようにしています。

眞田車いすを動かすための大胸筋や肩甲下筋、三頭筋、手首、肘のケアはしっかりします。例えば、肩付近はその時の状態によって肩甲骨周りを緩めたり、緊張させるためにEMSも活用します。また遠征では飛行機の移動が多くなるので、首に負担がかかります。そんな時はポータブルの低周波治療器や超音波治療器は欠かせません。特に携帯できる低周波治療器は大会先、自宅問わず自分で手軽にケアができるので重宝してしています。

また毎日の練習で疲れた身体にはマイクロカレントをしながら横になり、次の日に疲れを残さないようにしています。ロンドンパラリンピックに出場したときは、肩を痛めてステロイドを関節に打たないとラケットを振り抜けない状態が続いていましたが、ポータブル低周波治療器を試合期間中、毎日肩に使ってなんとか試合を続けることができました。オランダで行われたワールドチームカップでは帯同しているトレーナーがコンビネーション治療器を使っていましたし、今回優勝した韓国の大会にもポータブル超音波治療器を持っていきましたし、治療器はとても身近に感じていますね。

国枝この大会ということはないのですが常に使っています。
例えば、超音波治療器を全仏オープンに持っていき、トレーナーにケアしてもらいました。腰や臀部への効果はすごいですね。また、昔からポータブル低周波治療器を愛用しているのですが、先ほど話したようなトレーナーが不足する大会の時には非常に助かります。ちょっと気になるレベルであれば、この治療器で充分ケアできますし、持っていかないと不安ですね。これからは超音波をつかう機会も増えてくるかなと思っています。

インタビューに答える、車いすテニスプレーヤーの国枝慎吾さんと眞田卓さん
最後に今後の抱負について一言お願いします。

眞田今、世界ランキングが10位(2014年6月16日当時)ですがもっと力をつけて1桁台にすることが当面の目標です。また新しい超音波治療器を手に入れたのでケガをしないようにしっかりとケアしていきたいと思っています。

国枝目標はリオパラリンピックで金メダル。もちろん東京パラリンピックでも活躍することです。そして東京では車いすテニスをもっと盛り上げ、魅力を感じてもらい有明のコートを1万人の大観衆で埋め尽くし、プレーで魅せたいですね。

車いすテニスプレーヤー 「国枝慎吾」さん
国枝慎吾 (くにえだ・しんご)

世界ランキング1位、車いすテニス界の至宝ともいえるプロテニスプレーヤー。素早いチェアワーク、創造力溢れるプレー、強力なバックハンドトップスピンが持ち味。9歳のとき脊髄腫瘍による下半身麻痺のため車いすの生活となり、11歳よりTTCで車いすテニスを始める。17歳から本格的に丸山弘道コーチの指導を受け始め、2004年アテネパラリンピック・ダブルスで金メダル。2006年10月に世界ランキング1位となる。2007年には史上初となる車いすテニス男子シングルスのグランドスラムを達成。その後も2008年北京パラリンピック・シングルスで金メダル、2010年車いすテニス初のシングルス100連勝、2014年シングルス全豪・全仏・全米、ダブルス全英・全豪・全米優勝などその快進撃は留まるところを知らない。

車いすテニスプレーヤー 「眞田卓」さん
眞田卓 (さなだ・たかし)

日本ランキング3位、世界ランキング8位の車いすテニス界期待のプレーヤー。埼玉トヨペット所属。19歳のとき事故で右膝関節から下を切断し、義足となる。趣味で始めた車いすテニスはいつしかパラリンピックを目指すことになる。世界に進出してからは、わずか1年半で世界のトップ10位に入りその切符を手にする。持ち味は速くて重いフォアハンドショット。2012年ロンドンパラリンピック出場の他にも数々の大会で優勝、2014年6月コリアオープン・シングルス/ダブルス優勝、テグオープン、カナダ・ザ・バーミンガム クラッシック シングルス優勝などますます力をつけてきている注目の選手。