INTERVIEW インタビュー

寺田

周平

Shuhei Terada

ピッチに立てる幸せ

全てを糧に、次のステージへ

2010.12.27

川崎フロンターレDF 「寺田周平」さん

プロになって初めてケガに苦しんだ

インタビューに答える、川崎フロンターレDFの寺田周平さん
サッカーを始めたのはいつから頃から?

寺田小学4年生の頃からですから、10歳前後からですね。もう25年くらいになりますね。

中学・高校・大学・ Jリーグと経験されたわけですが、元々ディフェンシブなポジションだったんですか?

寺田いいえ、中学高校の頃は攻撃的ポジションでしたね。本格的なディフェンスを始めたのはプロになってからです。

身長が高くて足が速いそうで、チームの30m走でもTOPクラスだとか。

寺田 まぁ身長が高い割にはという言葉がついてしまいますが(笑)。

体のケアのことについてお伺いしたいのですが、35歳という年齢までサッカーを続けられたということについて、普段からどのようなことを心がけていますか?

寺田学生の頃はケガなんてものは全くなかったので、ケガをしてから、練習の始めのストレッチと練習の終わりのマッサージをするようになりました。

ということは特に変わったことではなく、そういった基本的なことを行っていたわけですね。 前十字靱帯を損傷してしまったのはプロになってすぐですか?

寺田二年目のサテライトの試合中でしたね。

かなりの痛みがありましたか?

寺田そのときはまだプレーしようかと思ったくらいで、ハーフタイムがきてから、ちょっと足の調子がおかしいなって思ったくらいであまり激しい痛みというのはなかったんです。

二年目でモチベーションも高いときだったと思いますし、かなりのショックだったと思いますが。

寺田そうですね。でもあまりそこまで深刻には考えてなくて、まぁ治ればプレーできるだろうというくらいの感じでしたね。むしろそのあと肉離れとか色々ケガが続いてしまって時間がかかってしまいましたから、予想以上に復帰に時間がかかりました。

前十字靱帯損傷は他のJリーガーでも多いものですか?

寺田いえ、多くはないと思います。全体からみたら一年に一人はいるんじゃないか程度だと思います。川崎フロンターレには一人もいなかったですね。

コンディショニングケアに対する自覚

インタビューに答える、川崎フロンターレDFの寺田周平さん
チームで何かケガの予防などに気を使っていたりはしますか?

寺田いえ、全くのアクシデントなので、予防のしようがないという感じなんですよね。

前十字靱帯の損傷などはタックルされたせいというよりも、自分でひねったりして起こってしまうような思いがけないケースが多いみたいですね。

寺田そうですね。僕もそうでした。手術のあと約1年のリハビリを経て復帰した直後に、また前十字靭帯を痛めてしまいました。

その時は手術ではなく、保存療法を選んだわけですが、その後のコンディションケアやリハビリに対する意識みたいなものは変わりましたか?

寺田やっぱりその頃からですかね。コンディションケアに対する自覚が生まれたのは。

具体的には、先ほどおっしゃっていたような練習前のストレッチや、マッサージの時間を以前よりかけるようになった?

寺田そうですね。周りの人よりも多めに行ったりしていました。

今シーズンの膝の調子はどうだったんでしょうか?

寺田やはり膝がすごく調子がいい状態というのがあまりなく、ゲームの終盤になると痛みがでてくるという感じでしたね。試合が終わるとかなりの痛みがでるという感じで、次の試合までにはなんとか回復するという繰り返しでした。

今年の6月に半月板を除去する手術をされたそうですね。膝のクッションがなくなってるわけですから、余計に負担がかかりやすいですよね。

寺田そうですね。 軟骨もかなり傷んでて、膝に自分の体重をかけられない状況でした。練習に参加しても、当然全力で走れない、思いっきりジャンプできない、そんな状態で、引退も頭によぎっていました。

モチベーションもあげてくれた低出力超音波治療器【LIPUS】

そういった手術もできない状況で、境トレーナーから低出力超音波治療器【LIPUS】を施術してもらったわけですね。もともとこの低出力超音波治療器【LIPUS】は中高年に多く見られる変形性膝関節症に使用されていることもあって、導入させていただいたわけですがいかがでしたか?

寺田使い始めた当初は痛みが劇的に変わるということはなく、感覚的なところで少しすっと楽になる感じがしたんですよね。でも効果があるように感じたので使ってみようかということになって、2ヶ月ほど使用を続けました。途中あまり効果を感じられないことももちろんありましたが、その2ヶ月間の最後のほうでは膝がスムーズになるような感覚があって手放せなくなりましたね。

完全に痛みがなくなるということはないと思いますが、例えば一番痛かった時の数字が10だとして、一番調子がいい時には感覚的にどのくらいの数字に感じられましたか?

寺田色々な要素がからんでくると思いますが、本当に調子がいいときには3くらいに感じましたね。それに加えて調子がいいと当然モチベーションが上がりますから、まだまだやれるかな、という意欲が湧きましたね。

今シーズン久しぶりの90分フル出場の公式戦を終えたときの気持ちはいかがでしたか?

寺田やはり嬉しかったですね。

毎日何回くらい治療をしましたか?

寺田毎回20分で、練習の前と、練習終わった直後に使用しました。だんだん効果を実感できるようになってからは、家に持ち帰って夜も使用しましたから、合計3、4回の使用が基本でしたね。もう最後は本当に手放せなくなっていました(笑)。

インタビューに答える、川崎フロンターレDFの寺田周平さん
Jリーグ発足以来、最高年齢32歳で日本代表に選ばれたわけですが、サッカー選手にとって一つの目標ともいえる日本代表に選ばれた時のお気持ちはいかがでしたか?

寺田目標というか、正直に言えば僕自身そこまで日本代表を目指していたわけではないんですが、やはり嬉しかったですね。今まで頑張ってきた甲斐があったというか。

最近は選手個人だけでなく、クラブでも治療器を導入していたりと、10年前とはコンディショニングケアの意識に非常に違いがでていますが、どのように感じますか?

寺田そうですね。僕が入団したころにはそういったトレーナーは2人しかいなかったですし、意識が高まっていますね。現在川崎フロンターレには4人のトレーナーがいます。もうちょっとトレーニングルームも充実して欲しいという願いはありますが(笑)。

「経験させてもらった」気持ちを忘れずに伝えていきたい

インタビューに答える、川崎フロンターレDFの寺田周平さん
休日のOFFでは何をしていらっしゃいますか?

寺田それが趣味がないもので・・・(笑)。ですが家にずっといるということはなくて、近くの公園に遊びに行ったり、家族と出かけたりして、身体を動かすようにしてましたね。全く身体を動かさないとなんとなく次の日の練習にも影響がでてしまうような気がして。

お子さんがいらっしゃいますよね。

寺田はい。男の子と女の子がいます。6歳の長男と一緒にボールを蹴ったりして遊ぶのは楽しいですね。

お子さんは寺田選手が日本代表に選ばれたことを覚えていらっしゃいますか?

寺田そうですね。2年前の話ですからどこまで覚えてくれているかはわかりませんが、覚えてくれていると嬉しいですね。子供が生まれて、子供にとって記憶に残る現役時代の自分を見せたかったという想いはありましたから。

治療器を体感する、川崎フロンターレDFの寺田周平さん
今後は指導者になった場合、後輩の選手にどのようなことを指導していきたいですか?

寺田僕もケガをしてはじめてコンディショニングケアというものの大事さを感じましたし、ケガをしないためのやるべき準備や、それをちょっと怠ったことによるケガをして後悔してほしくないですね。ただ、ケガを含めて全てのことを「経験させてもらった」と思っているので、それを自分の中にとどめておくだけにするのではなく、人にもそれを感じ取ってもらいたいと思っています。もともと話すのは得意なほうじゃないんですが、明日も小学生のサッカーチームに話をする機会があるんですよ。引退を決めてからはそういった伝える立場にいるということをよく感じるようになったので、積極的にやっていきたいと思いますね。

現役時代にやり残したようなことは何かありましたか?

寺田長くサッカーをやりましたが、ちょっとだけ夢がありまして、実は海外でサッカーをプレーしたかったんですよね。別にヨーロッパとかそういった超一流のところではなくて、インドネシアとかそういった異文化な場所で「サッカーで生活」してみたかったんです。一年を通してのプレーをするには膝の調子が悪くてできなかったのがちょっと残念だったんですが、現役最後の短い間とはいえ、治療器のおかげで、ピッチに立てて良い締めくくりをすることができました。本当に感謝しています。

川崎フロンターレDF 「寺田周平」さん
寺田周平 (てらだ・しゅうへい)

日本には珍しい長身のボランチとして注目を集め、活躍を果たす。2000年5月の練習中に膝の靱帯を損傷し、さらに他の負傷なども重なって、復帰には約2年半を要した。以降、ディフェンダー(センターバック)に転向したが、度重なるケガに悩まされた。しかし2004年に復活を遂げ、2008年5月27日のキリンカップ・パラグアイ戦で、日本代表初出場。32歳339日での日本代表選出は歴代4番目の年長記録、Jリーグ発足後では最年長記録。